二胡講師/二胡奏者

1988年 文理学部日本文学科卒業比較文学専攻

 

 

 人生の最大の転機は、29歳の時、最愛の母の突然死でした。
 母からの自立への道が、現在の生業であるアジアの伝統楽器「二胡を演奏する、教える」につながっています。

 大学では日文の比較文学を専攻。卒業後は、電機メーカーに就職。その後サークルで知り合った現在の夫との結婚を機に寿退社という当時の”幸せの人生のレール”に私も乗っていました。
 しかし母の死で、自分の依存心の強さや何も決められない優柔不断さに気づき、このままではダメだ、自立しなくては、との思いから、音楽が大好きで幼少からピアノを習っていた私でしたが、当時日本では珍しい楽器だった二胡での自立を選択、上海音楽学院への留学を決めました。
 窮地に立って、私の中に本来眠っていた先取の気性、即断即決の気質が芽生えたような気がします。


 上海で必死に学んでいるちょうどその時、女子十二楽坊による空前の二胡ブームが到来し、私にも日本から二胡講師の話が舞い込んできました。自立のチャンス!と急遽帰国すると、いきなり100人以上の生徒さんの講師、という立場が待っていました。寝る時間を削りレッスンカリキュラムを練る日々。その間、二胡の普及活動や演奏活動もスタートしました。

被災地応援演奏@福島県南相馬市原町の小学校。 土壌汚染のため外で遊べない子どもたちを訪問。

 

 一方、東日本大震災では、音楽イベントの全面自粛で仕事が激減するという辛さも経験しました。しかし、それをバネに石巻や南相馬、宮古など被災地応援演奏活動にも取り組むなかで音楽の「人々に与える大きなチカラ」に気づきました。 

 

 フェアトレード関係の方々とのつながりから「女性の自立支援のための仕事作り」に携わり、ミャンマーやインドネシアなどアジア諸国へ、さらにパレスチナでの演奏などを通じて、「音楽は人種や国境を超える」ことも実感できました。貴重な経験でした。

ミャンマー内戦で住居を奪われ難民キャンプに暮らすカチン州の人々を訪問演奏。

二胡を通して多くの学びと成長を得られたことに感謝するとともに、今後は二胡をさらに深めながら、”二胡による社会へのご恩返し” をしていきたいと思っています。

 これからの100年は「アジアの時代」です。世界における人口、経済、マーケットにおけるアジアの占める割合は、すでに西欧諸国を凌駕しており、アジアなくして世界は成り立ちません。
 そのアジアの一員として、私たちは、自国の伝統や文化をもっと理解し大切にし、日本人としてのオリジナリティーを世界に発揮していくことが大切かと考えます。