東京女子大学前学長

 

1970年
文理学部英米文学科卒業

 
 

私は1970年文理学部英米文学科の卒業生です。
卒業後、1982年から32年間母校で教え、さらに学長として4年間、微力ながら母校のために働く機会を与えていただいたことを心から感謝しています。

東京女子大に入学したのは、何よりも、私の母の「女子大の時は本当に楽しかったわー!」という呪文によるところが大きかったのでした。そして、その通り私の学生時代も総じて楽しいものでした。

 

好きな授業には打ち込み、あまり興味の持てない授業(私の能力不足で理解できなかったからですが)の時間は、時々他の楽しみのために用いたりしながら、自分なりに有益に過ごしたものです。

家庭教師のアルバイトで貯めたお小遣いで、友人と旅行をしたことも楽しい思い出ですが、二つの大きな経験をしました

一つは、在学中に「大学紛争」に遭遇し、4年次の授業については殆ど落ち着いて勉強できず、卒業式もないままともかく卒業したということです。
もう一つは、いくつかの授業を通して、それまで全く知らなかった英語の言語としての歴史に興味を持ち、もっと学んでみたいと思ったことです。

 

とくに、後者は、その後大学院に進学して、大学で教えることに繋がったのですから、後から考えれば、私のキャリアにとって決定的な経験でした。

「大昔の英語の歴史など日本人が研究して何になるのか」という父親から向けられた疑念にもめげず、将来の展望などなにもありませんでしたが、何しろやってみたい、と思って勉強を続けました。

 

英米文学科および英語文学文化専攻での教員時代は、私が学生時代に先生方から教えられた「勉強は自分でするものです」という学びの姿勢を伝えたいと思っていました。

なぜなら、自分で学ぶことが、「学ぶことは面白い」と発見することに繋がるからです。学長になって、新渡戸稲造先生や安井てつ先生が、主体的に学ぶことをとくに重んじていらしたことを知り、建学の精神が継承されていることに心を強くしました。

 

学長時代にとくに印象に残ったことは、東女の卒業生の多種多様な活躍ぶりです。目にはっきりとは見えませんが、「犠牲と奉仕」の精神に加えて、時代の要請を取り入れつつ守られてきた本学のリベラル・アーツ教育の底力を感じたことでした。

自分で考える姿勢と、しなやかに、決して諦めず、自分で道を切り拓くパワーに「東女生の持ち味」があります。

 

初代学長新渡戸稲造先生は「女性も一人の自立した人間であるべき」との信念に基づいて、女子高等教育に献身なさいました。高等教育を受けた女性が自立した人間として成長し、男女が同等に織りなす共生社会が実現することを願っていらしたと思います。

このような校風を伝統とするキャンパスで若い時代の数年間を過ごしたことを心に留め、それに誇りをもって、皆様が自分の道を一歩一歩大切に歩んでいらしてくださることを祈念します。東女生一人ひとりの「生涯のキャリア構築」を輝かせましょう。