株式会社堀江制作取締役
1983年 文理学部史学科卒業
入学して間もない頃、一般教養の哲学の講義で、池明観先生が最初にこうおっしゃいました―「学問とは、問いと答えだ。問いも答えも自分で探し出す」。なるほど、と胸の内でポンと手を打って、ここから私の大学生活が始まったような気がします。
史学科を選び、東洋史の山根幸夫ゼミに学びました。卒論は中国革命の意味を問うような大風呂敷を広げて往生しましたが、4年の夏休みいっぱいをかけて、湖南農民報(1955-9年)の投書分析をした結果、一つの答えを見出した。あのときの興奮は今でも忘れません。
やれ嬉しやと、さっそく原稿用紙に向かって鉛筆を握ったとき(ワープロではないのです)、ふいに「お前は何者か」という声が、耳の奥に聞こえて驚きました。「なぜそれを問うのか」と。その声は中国革命(卒論のテーマ)が、私に対して発した問いでした。
つまり、学問とは自分を問うことなのだと、そのときに感じました。宇宙や社会やあらゆる原理を問うことは、そのまま自分自身を問うことに他ならない。それは学問の世界の入り口に、ほんのわずかにしても、ふれ得た貴重な経験でした。
卒業式の日、中国文学の伊藤虎丸先生から「この大学は徹底して卒論を書かせるから、君たちは気づかないうちに力をつけているんだよ。自信をもって社会に出て行ってもらいたいね」と励まされました。少人数教育による親密な指導と卒論重視は、東京女子大学の強みです。これまでと同様、次の100年も変わらずにそうあってほしいと思っています。
卒業後は実用書の出版社に勤めて、妊娠・出産・育児、健康、就職、将棋、競馬と、「~のし方」の本をいろいろ作りました。結婚後は自営に転じて出版関係の仕事を続け、現在27期です。仕事とはすべからく人々の幸せに資するもの、と心得て日々励んでいます。
仕事の傍ら、2冊の本を出版しました。1冊は共著で、日本におけるラマーズ法出産の歴史です(勁草書房、1996年)。日本のラマーズ法はリブの女性とベテラン助産婦とが出会って独特の展開を遂げた経緯があり、その助産婦たちが高齢となっていたため、話を記録する意図がありました。もう1冊は『戦時下の女子学生たち』(教文館、2012年)、戦時下の東京女子大学に在学した卒業生60人の体験を聞き書きしたものです。これも「今、聞いておかなければ」との思いで取り組みました。
いずれも史学科の血が騒いだと言うべきか―。大学での学びが、私の基礎になっていると感じています