東京女子大学特任教授

 

1973年 文理学部数理学科卒業

 

 

 

思い返してみると、これまでの私の人生は多くの幸運に恵まれてきたと思います。まずは東京女子大学に入学したことです。

もともと女子大が第一志望ではなかったので、当初は落胆していたのですが、入学して結果的にはとても良かったと思っています。良い先生、良いクラスメートに恵まれた幸せな4年間でした。

先生の研究室に質問に行くと、いつでもニコニコと対応してくださり、答えるだけでなく励ましてもくださいました。クラスメートは皆仲が良く、空気の読めない私をも温かく受け入れてくれる雰囲気がありました。

 

この4年間に数学の魅力をたっぷり吸い込んで、私は数学の道を歩むことになりました。

その後早稲田大学の修士課程、東京都立大学(現首都大学東京)の博士課程に進学し博士号を取得しました。東京女子大での、のびのびと数学に没頭した4年間がなければ、私のその後はなかったと思います。

 

博士号取得後多くのポジション(助手)の公募に応募したのですが、いずれも不採用となり絶望的になっていた時、九州大学の公募がありました。

東京に家族とともに住んでいた私は、「地理的に無理だろう」と応募を控えていたのですが、夫が「ぜひ応募すべきだ」と背中を押してくれたので応募しました。その結果数十人の応募者の中から、私の業績に目をとめていただいて、九州大学の助手として採用していただいたのは幸運でした。

 

一週間に九州と東京を一往復するという生活を2年近く続けたのち東京工業大学の助手として採用されたのも幸運でした。朝大学に出かけて、その日のうちに家に帰れるなんて、なんと幸せなのだろう、と思いました。

その後同大学助教授、教授、そして東京大学へ異動し教授を務め、定年退職後、現在母校東京女子大学の特任教授として活動しています。何よりもこの間、良い同僚、良い問題に恵まれ研究が発展してきたことは幸運でした。

 

スペイン、セダーノでの集中講義風景

 

数学は若い人の学問だと言われています。実際目覚ましい業績は40歳以前に達成されることが多く、そのため数学での世界最高の賞とされるフィールズ賞は40歳以下の数学者に授与されることになっています。

数学という男社会の中で、女性が業績を挙げることが挑戦であることはもちろん、若くない人が業績を挙げていくことも大きな挑戦です。これまでの私の最もインパクトのある論文は50歳を過ぎてからの論文であることを嬉しく思っています。

ただこれは「挑戦」と思って成したことではなく、ただただ面白いことを続けてきただけなのです。これまで数学を続けてくることができた幸運に感謝するとともに、支えてくださった多くの方に感謝しています。