株式会社日立ハイテクノロジーズ
経営戦略本部 専門部長

 

1985年
文理学部数理学科卒業

 

大学での専攻は、社会に出るとき(あるいは出た後)にどれほどの戦力になるのでしょうか。

私は所属する企業のリクルータとして、15年以上にわたり東京女子大学の学生の就職活動を見てきました。

チャレンジングな志望先をためらう学生に対して、「勉学したことを一生懸命説明するよりも、勉学や学生生活を通して得たことや感じたことを伝える方が、あなたをアピールできるのよ」とアドバイスしています。

 

かくいう私も、就職活動の時は自分をうまくアピールできませんでした。理系でしたがCA(客室乗務員)を受験し、すべて不合格となったためソフトウェアエンジニアとして企業で働き始めました。今思えば、理系にも関わらずCAに挑戦している姿が何かを訴えたのかもしれません。

このような経緯で入社した企業で、なんと30年以上も働いています。

 

働き盛りと言われる年代に、私は子育てと仕事を両立させるため、ツール開発やオフショア開発(ソフトウェア開発を海外にアウトソースすること)の窓口など、サポート的な仕事を9時から5時という限られた時間でこなしていました。

製品開発で実績をあげていく同僚が羨ましく、一方で家庭のことも十分にできたという実感もなく、フラストレーションの溜まる時期でした。

そのような時に挑んだのが、技術士国家資格の取得です。技術士とは、「高等の専門的応用能力」を備えた技術者のことです。当時は40歳以下でこの資格を持っている人はかなり少なくハードルが高いものでしたが、二度目の受験で合格しました。これは、客観的に実力を示すものとして私のお守りになりました。

 

その後、技術だけではビジネスにならないという経験をきっかけにMBA(*1)を取得したり、子供の就職活動を機にキャリアコンサルタントの資格を取ったりと、“必要性を実感した時に勉強を始める”ことを繰り返しました。

私が、技術士を目指したり、50歳を前に経営学を学びたいと思いそれを実行に移せたりした土台に、東京女子大学で学んだリベラルアーツ(教養)があると思っています。

「芯のある柔軟な対応力」「人生の中で必要となった時に学べる力」は、東京女子大学で学んだリベラルアーツのおかげで、私の宝です。

 

働き盛りは人それぞれで、私は今が働き盛りです。CAになり損ね、ソフトウェアエンジニアを経て今の仕事で経験を積み、今後は技術経営のコンサルティングなどで世の中に貢献していければ…と夢を膨らませています。

「生涯にわたって女性が自分の知識や能力を社会のために役立てていきてゆく」という、東京女子大学の今後100年の姿勢は、卒業後30年以上たった私にもぴったり合う言葉です。

 

そしてもう一つ、大学時代の寮の仲間も私の宝です。
親元を離れ自分自身で価値観を築いていく大切な年代に生活を共にした仲間は、互いのことを良くも悪くも深く理解し合っています。

ですから、25年経って久々に再会したときも、あっという間に学生時代に戻り、卒業後のあれこれを語り合うことができました。これからも数年に一度は小旅行をして、それぞれの多様な人生を分かち合っていきたいと、楽しみに心躍らせています。

 

寮の仲間

(*1) MBA:経営学修士