杏林大学医学部医学教育学教室 特任講師

2000年
文学研究科社会学専攻卒業

 

 

 

 

私は現在、中央線をはさんで東京女子大学とほぼ線対称に位置する杏林大学医学部で、医学部の低学年を中心とする医学教育に携わっています。とはいえ、私は医師ではありません。なぜ、医師でもなく文系の私が医学部で働いているのか。その背景には、東京女子大学での学びと経験があると考えています。

 

実は、私は4回東京女子大学にお世話になっています。最初は、1982年に短期大学部に入学した2年間。次に、短期大学部を卒業後11年間企業で働き、1995年に文理学部社会学専攻の3年生に編入学し修士課程を終えるまでの5年間。そして、他大学で博士号を取得後、2006年に非常勤講師として授業を担当した6年半。最後に、東京女子大学が文部科学省の助成を受けて開室した、「女性研究者支援室」のコーディネーターとして勤務した2年半。このように、巣立っては戻り、巣立っては戻る私を、常に温かく受け入れてくれたのが東京女子大学です。

 

思い出がありすぎて何を話せばよいのかとても迷いますが、編入学したときのことをお話します。編入学したのは32歳、しかも編入学した年の11月に、私は長女を出産しました。ひと回りも年上なだけでなく、みるみるお腹が大きくなっていく風変わりな私を、皆さんはとても自然に受け入れてくれました。なかでも親しくなった同級生が、「なんて呼べばいい?年は上だけど、同級生だからせっちゃんって呼んでいい?」と言われたときは、恥ずかしい反面、とても嬉しかったことを覚えています。ゼミのメンバーともすっかりうちとけ、ゼミ合宿には生後9か月の娘を連れて参加しました。当時はよく、「子どもを育てながら大学や大学院に通うのは大変じゃない?」と聞かれましたが、大変さよりも楽しさの方が大きかったです。そんな風に2度目の学生生活を楽しむことができたのは、一般的な学生とは少し違う私を認め、受け入れてくれた環境があったからだと感謝しています。

 

そして、人とは違うことを受け入れてくれる環境は、東京女子大学という空間だけでなく、東京女子大学を卒業した人たちのなかにもありました。卒業後、出会った多くの同窓生に温かく見守られ、励まされています(まさにエンパワーメントですね)。今は、医学教育や医師の世界という、これまで過ごしてきた環境とは異なる場で、違いを楽しみ、違うからこそできることを探ししながら、学び続け、働き続けています。

先輩、後輩の皆さん、どこかで出会ったら、ぜひ声をかけてください。