Northshore School District
Bothell High School Japanese Teacher
(日本語教師)

 

1992年 社会学科
経済国際関係専攻卒業 

 

 当時東京女子大学で教えていた父が東女の大のファンで、どうしても娘を入学させたいと考えていた様で、東女以下のレベルの大学には行かせない、と言われ、大変失礼ながら滑り止めとして受験させていただきました。ところが、蓋を開けてみたら、第一志望に合格してしまって、危うく東女には入らないで終わりそうになりました。母に、「親孝行をするなら今よ」と脅され(?)東女に入学しましたが、今思えば、本当にいい決断だったと思います。
 親のコネが全く効かない大学で、父は私の受験番号すら知らなかったのに、コネ入学と勘違いされるのが悔しいので、キャンパスでは父のことは知らないふりをして、中庭でばったり会っても、「こんにちは」とお辞儀をしていました。大学では、奇しくも同じ名字の伊藤善市先生のゼミで大らかに、大事に育てて頂きました。大学4年のお正月のお祝いで先生のお宅に呼んで頂いた時に、先生が「お父さんはお元気かね」とゼミのみんなの前で尋ねられて、父親のことが友達にバレてしまったことを今でも思い出します。

 

 在学中2年の春休みに、人生初めての飛行機に乗って、アメリカに遊びに行きました。ホストファミリー宅での最初の夜、スパゲティを食べるのに、”Chikako needs chopsticks!” と大騒ぎされ、私の拙い英語も通じず、スパゲティをお箸で食べた思い出があります。その時、「ああ、日本人はアメリカのことをこんなに知っているのに、アメリカ人はなんて日本人のことを知らないんだろう」と感じたことが今日の私に繋がっています。

Japan Bowl というコンペティションに初出場で入賞! シアトル領事から表彰されました。

 卒業後、1年と3ケ月ほどOLをして、2回のボーナスを貯めてアメリカに渡りました。それから26年、2年の産休の間もずっと何かしらの形でシアトルで日本語を教えてきました。概ねは公立高校で選択科目としての日本語を、時には大学や、コミニティカレッジ、小学校などでも教えました。その間、結婚し、二人の子供に恵まれ、まだまだ子育てと仕事の両立にてんてこ舞いしています。生徒たちのキラキラした瞳に映る日本を見て、在国していた時よりもずっと日本のことが好きになりました。仕事が楽しくて楽しくて、毎日「幸せだなあ」と思いながら、仕事をするというよりは、遊んでいる様な気分です。今は、自分がもっと上手く教えられる様になることと、ワシントン州の日本語教育を盛り上げて行くことを目標に色々な活動に取り組んでいます。また、東女同窓会シアトル支部では、もうずっとお世話になっています。素敵な先輩方ばかりで、そういう意味では今も東女に支えられ、教えられています。

生徒達を連れて毎年夏日本へ

 東京女子大学100周年、なんて素敵なことでしょうか。素晴らしい女性達を100年も育ててきた我が学び舎を誇りに思います。その中の一人として東女の伝説を共に担って行けることを励みにこれからも頑張って行きたいと思います。