日本貿易振興機構アジア経済研究所

1998年 現代文化学部地域文化学科卒業

 

 

 

東京女子大学100年の節目に際し、寄稿の機会をいただいたことを深く感謝申し上げます。女子大での日々に思いを巡らすと、楽しかったなあという感想ばかりが心に浮かびます。母校の高校は地理的にも東京女子大に近く、身近な存在でした。そんな先生方からは、「いい学校だからね。しっかり勉強するのよ」「大学は自分で求めれば、その分得られるところだよ」と励まし(戒め?)をいただき、その言葉を胸に善福寺の門をくぐり、入学式に臨みました。

 実際に牟礼キャンパスでの生活が始まってみると、まず驚いたのは学生の多様性でした。出身地だけでも日本や韓国など津々浦々、そしてみなそれぞれ個性的で、洗練された雰囲気で、大人しいけれどしっかりした女性、同じ世代なのに大人びていて、知識も交友の範囲も広い人、好奇心の赴くままに海外まで飛び出していく行動的な同級生と、それまでの高校生活では見たこともないような人ばかり。彼女たちと机を並べることになり、毎日が刺激的でした。今から思えば、小さな牟礼キャンパスでは、先生も職員の方も学生の顔を覚えて声をかけてくださり、学生同士も名前は知らなくとも互いに顔見知りばかりの、こじんまりした社会ではありました。それでも高校に比べたら世界は急にぐっと天井も奥行きも広がり、立体的になったような感じがしたものです。学友たちとは、毎日たくさんおしゃべりをしました。内容はほとんど思い出せなくても、いつまでも話していたかった気持ちは、いまでもはっきり思い出すことができます。

また、現在の職業である研究の楽しさを知ったのも、大学時代でした。意気込みの割に成績は大したことのない私でしたが、先生方は「これに興味があるなら、こっちも読んで見たら?」「そういうことをしたいなら、ここに行ってみなさい」などと、有り余るエネルギーの塊を面白がり、うまく方向づけて、背中を押してくださいました。

 21世紀に入り、女子大はその存在意義を問い直しつつあると聞きました。様々な個性をもった女性が、女性として以前に個人として学び、関係を作り、活動できること。そうした経験を抱えて、社会にでていけること。これに勝る女子大の意義はないのではないでしょうか。私たちがやりたい放題やっていた20年前も今も、これからも変わらず、東京女子大は自由な個人の学びの場であってほしいと願います。